Trang 1 trong tổng số 1 trang

Bài viết của một vị khách Nhật đăng trên mạng xã hội Japan

Gửi bàiĐã gửi: 12 Tháng 3 2013
gửi bởi Do Quang Ba
ハノイ到着
ハノイのノイバイ空港も駐機が少ない。かまぼこ型の施設がたくさんあった。国内線を出る時も荷物のチェックがあった。バスは1号車が18人で添乗員は大柄な田中智子さん。2号車は17人だが、後でわかったのは2号車は大半がビシネスクラス利用者だということ。2号車のガイドは後藤さんと言う早口の元気がよい人。このコースは人気添乗員同行と書いてあったので、いったい誰が人気添乗員なのか時々話題になった。ずっと後で智ちゃん聞くと笑って、「私は添乗歴10年、後藤さんは5年。」と言った。空港には現地ガイドのバーさんが待っていた。バーというのは、ベトナム語で3のことだと言う。三男だからバーなのだそうだ。「バーさんというと婆さんに聞こえるから、三ちゃんとか三郎さんと呼んで欲しい。」と言った。ベトナムで一番人気がある333というビールは「バーバーバー」である。バーさんは日本語が大変にうまい。初め日本人かと間違ったほどだ。
最後の日に空港へ行く道で英語で話をしてわかったことだが、彼は、英語、日本語、中国語ができて、中国語は特に得意だと言った。先祖は中国人だそうだ。それにベトナム人には中国語は習うのがやさしいのだそうだ。ベトナムではフランスに統治されるようになるまでは漢字を使っていたそうである。ホテルへ向かう途中バスの運転手はやたらと警笛をならした。それはバイクが多いからである。バスの両側をバイクが走ったり、前にかぶせたりするのだ。バスが他車を追い抜く時警笛で警告し、フラッシュライトを点滅させるのだ。その時に対向の車と真正面になるので、ぶつかるのではないかと冷や冷やする。その状態は、ベトナムにいる間中続いた。衝突しないのが不思議なくらいで、幸いなことに滞在中、一度も事故はなかったし、救急車は見たが、事故の現場には遭遇しなかった。
ホテルに向かう途中、凱旋門のような門があった。これから建つ団地の門だという。ベトナム人は門が好きなのだそうだ。
バーさんが我々に質問をした。「ベトナムと聞くと何が一番に思い浮かびますか?」と。私は、「勤勉」と言ったが、バーさんは「戦争です。」と言った。確かにその通りだ。あの忌まわしいアメリカとのベトナム戦争こそ忘れてはならない歴史的出来事なのだ。このことについては後で触れる。
ホテルは、HANOI DEAWOO(ハノイ・デウ)といい、バウさんによればハノイで最高級のホテルだと言う。ロビーはクリスマスのイルミネーションで飾ってあった。室内はきれいでインターネットの端末も来ていたし、プールも付属していた。しかし、トイレの水の出が悪く、シャワーも壁に作り付けであった。   

F,突然のベル
 10時半ごろ就寝しぐっすりと眠っていたら、突然電話のベルの音にたたき起こされた。何事かと思ったら、ガイドのバーさんで、「小島さんにかわって下さい。」と言う。小島さんは、腰が痛くて動けないから聞いてくれと言った。バーさんは、「小島さんが倒れたと聞いたが大丈夫ですか?」と言った。「倒れてなんかいない。大丈夫だ。一体誰から聞いたの?」と言うと、「会社から電話があったんです。」と言った。大丈夫だからと言うと納得がいかないような様子で電話を切った。翌朝、添乗員にそのことを話すと「2号車の人が倒れて意識不明となり入院したんです。」と言った。それが小島さんと間違われたのだ。一人で参加していて、持病の糖尿病で部屋で意識不明になっていたのだそうだ。たたき起こされたこちらは寝なおすのに大変であった。